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2009年7月13日 (月)

地名の決定や変更

 地名の決定や変更というのは「街ネタ」では話題になりやすい事だと思っております。当地の場合には「ふじみ野」の名前の扱いが、最大の話題でしょうね。

 他にも歴史的な地名を捨ててしまった例が各地に有ると思うのですが、私が気になった事例を少し取り上げました。

 【旧】染井
 【新】駒込

 これは東京にある地名の例なのですが、染井と言えば桜の「染井吉野」の発祥の地であり、この由緒ある地名を本当に捨てる必要があったのかな?と思うのです。おそらく、国鉄(JR)山手線の駒込駅が開業する時に、こうなったのだと思います。

 次は駅名の事例です。

 【旧】川越駅
 【新】本川越駅

 現在の本川越駅の方が川越の旧市街地には近く、そちらが「本家」であろうと思います。しかし国策で国鉄(JR)川越線が出来た時に、国鉄の市内中心駅は駅所在地の地方公共団体の名前にするというルールがあったので、駅名を奪われたのだと思います。「本川越」という名前にしたのは、もう地元の意地のような物を感じる訳です。

 こうやって観察しますと、興味深い事例が全国各所に有るのです。富士見市内の「みどり野」とか「みずほ台」とかも、元は全く異なる地名であっただろうと思います。

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コメント

竹内様
地名は形がない文化財と考えてています。
古来から言い伝えてきた名称を時の為政者や取り巻き連中がいとも簡単に変えてしまうことです。ましてや地縁・血縁の全く無い者がです。
私感ですが、戦国時代は地名を自分の氏にして一所懸命の証としたんではないでしょうか?
富士見市では、寺前と寺下の字の地名が有りましたが、寺前に水子貝塚がありますけど、寺下は貝塚が無い埋め立て地ですが貝塚○町目です。水子の地名を忌み嫌う意見もありますけど、伝承する意味があります。南畑地区のみどり野は知らない間に地名が変わったんですが、奈良時代の名称があったんですが、消えました!永遠に!

投稿: むさしの | 2009年7月13日 (月) 20時38分

 むさしの様、こんにちは。

 良くわからないのですが、「一所懸命」とか「一生懸命」というのは、戦国時代に出来た日本語なのでしょうか? もしその通りなのであれば、歴史的背景から出来た日本語という事で、大変興味深いです。「青田買い」というのも大阪・堂島の米相場(会所)から発生したと思われ、このような日本語の「言霊」を感じるような事は大変興味深いです。

 同様に、地名にも「魂」「霊」みたいな物が宿っているとするのが私の考えです。たとえば新しい地名である「みずほ台」の事を考えたのですが、「瑞穂」というのは「みずみずしい稲穂」もしくは意味が転じて「日本国」の意味だと思うのです。想像するに、現在みずほ台駅の存在する場所には「青々とした水田」が目の前に広がっていたのであろうか?と推察をするのですが、歴史的・地理的経緯としては正しいのでしょうか?

 「みどり野」なのですが、元の地名が何であったのかは、私には全くわからないです。

 「貝塚」関係の地名ですが、該当する場所は「縄文海進」の時代にウォーターフロント地域だった訳で、目前に東京湾があったのですね。現代社会で例えれば、東京の「お台場」のような半農半漁の良好な住宅地であったと推察されます。そのような歴史を物語る地名をいとも簡単に変更しても良いのかな?という感覚も有ります。地元で十分に議論を尽くしてから変更したのであれば、それはやむを得ないと思います。

 「朝霞」の例も出しますが、ここは元々は「膝折」だったと思うのです。東武東上線(東上鉄道)の旧駅名にも「膝折駅」があったと思うのですが。これは何故か皇室や有名ゴルフ場にちなんだ地名なのですね。東京ゴルフ倶楽部が東京駒沢から膝折に移転した時に、膝折が朝香宮様にちなんで朝霞に改名されたと見聞しております。全く同じ名前では恐れ多いので、少し名前を変形したようですね。余談なのですが、その有名ゴルフ場の跡地は現在あまり有効利用されておらず、いささか勿体無いなと思っております。

 自分の「子供」に名前をつける時には必死に頭をひねると思うのですが、「地名」の場合にはどうなのであろうか?と思っています。

投稿: 竹内@ふじみ野.東上 | 2009年7月13日 (月) 23時11分

竹内様
こんばんは!
みずほ台の地名ですが、竹内様のご推察の通りです。只、開発前のふじみ野と全く同じような畑作地帯でしたが! 駅西口から先の三芳町方向は一面の雑木林で私が小学生の頃は自転車で自然の山栗を採りに行ったものです。
地名ですが、稲穂の国、稲穂がたなびく豊かな国、私には響き良い美しい言葉です。
自分の所有する土地や領地を護り、所有を認める安堵状を権力者から貰い、家臣となった武士集団が鎌倉時代から戦国時代に出来た言葉が一所懸命だと解釈しています。今の言葉に置き換えると、自分達の家族を守り土地建物の権利書を手にする為にローンを払い、地域と連携して、安心安全な街作りを確保して、日本国を守るって感じの解釈ですか?

投稿: むさしの | 2009年7月14日 (火) 19時19分

 むさしの様、こんにちは。

 私も「稲穂がたなびく豊かな国」というのは、好きな風景です。盛夏の水田というのは、実に見事だと思うのです。

 個人的には、ふじみ野周辺のそういった風景が次第に減少しているように見えるのは気がかりです。都市化の波というのは、もうやむを得ない事なのでしょうね。

投稿: 竹内@ふじみ野.東上 | 2009年7月15日 (水) 00時05分

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