歴史

2009年10月 2日 (金)

国際電気通信株式会社 福岡受信所 (かつて存在した施設)

 ふじみ野というよりは上福岡ネタなのですが、かつてこんな施設が存在していたという事で、郷土史の一つとして紹介します。

http://fomalhaut.web.infoseek.co.jp/radio/MJ/1944-8/kokusai.pdf

 *「通信院検閲済」という備考も有り、言論統制の有る悲しい時代だったのだなと、あらためて思います。

 下記の中から「№10782 女子挺身隊員」の部分も参考になると思います。

http://tseiso.hp.infoseek.co.jp/ml/kinroudouin.html

 これは凄いと思うのですが、商用通信はもちろん、戦争も目的として国際間を飛び交っている無線電波をここで受信して活用していた訳です。若い女学生などが、アンテナや受信機を接続して操作している様子の写真も写っていると思います。現在は、このアンテナや受信機は、陰も形も無いのですが。

 現在は、この場所は「KDDI 研究所」となって、平和利用されていますね。近隣にはURのコンフォール上野台(団地)が有ると思うのですが、ここはかつての軍需工場の跡地で、ふじみ野市役所付近というのは、かつては軍事色の強い地域だったと思います。終戦までの間に、ここが大規模な空襲に遭遇しなかったのは、奇跡とも言えそうなのですが。

 国際電気通信株式会社が当時の福岡村に進出した時は、東京から多くの社員が転居して来て賑わった事だろうと思います。現代の「ふじみ野」の開発でも、東京から転居した方が多いだろうと思っています。

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2009年7月13日 (月)

地名の決定や変更

 地名の決定や変更というのは「街ネタ」では話題になりやすい事だと思っております。当地の場合には「ふじみ野」の名前の扱いが、最大の話題でしょうね。

 他にも歴史的な地名を捨ててしまった例が各地に有ると思うのですが、私が気になった事例を少し取り上げました。

 【旧】染井
 【新】駒込

 これは東京にある地名の例なのですが、染井と言えば桜の「染井吉野」の発祥の地であり、この由緒ある地名を本当に捨てる必要があったのかな?と思うのです。おそらく、国鉄(JR)山手線の駒込駅が開業する時に、こうなったのだと思います。

 次は駅名の事例です。

 【旧】川越駅
 【新】本川越駅

 現在の本川越駅の方が川越の旧市街地には近く、そちらが「本家」であろうと思います。しかし国策で国鉄(JR)川越線が出来た時に、国鉄の市内中心駅は駅所在地の地方公共団体の名前にするというルールがあったので、駅名を奪われたのだと思います。「本川越」という名前にしたのは、もう地元の意地のような物を感じる訳です。

 こうやって観察しますと、興味深い事例が全国各所に有るのです。富士見市内の「みどり野」とか「みずほ台」とかも、元は全く異なる地名であっただろうと思います。

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外国人入植地 (古代の話)

 「関八州」の話がコメントの中で出ていますので、あらためて地図を調べました。「郡」単位まで出ている地図を発見しました。この「郡」というのは、現代まで継承されている由緒ある地名になりますね。当地付近は「入間郡」に属しており、現在でも「入間郡三芳町」が存在していると思います。

http://www.mars.dti.ne.jp/opaku/hakken/02/nmapx_gun.html
http://www2.harimaya.com/sengoku/map/bk_kan8.html

 外国人入植地と思われる「郡」の名前も有ると思います。「高麗郡」とか「新座郡」(別名が新羅郡)だと思うのですが、朝鮮半島との関係を思わせる名前になっていると思います。最近ですが「韓流ブーム」というのがあり、高麗神社とかには観光客が増加しているという話を聞きます。(何が地元に変化をもたらすか、簡単には予測できないですね。)

http://www.komajinja.or.jp/

 現代の該当地なのですが、日本人(大和民族)との混血が進んだせいか、外国人入植地の痕跡が殆ど無いように思います。史跡などを注意深く観察しないと、わからないですね。物凄く長い年数が経過した、という事なのだと思います。 どうしてこの地、しかも2ケ所に分散して入植させたのかは良くわからないのですが、外国人管理であるとか、開墾事業の都合などでしょうか。

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2009年6月27日 (土)

「ふじみ野今昔」のページ

 こんなページが有りますので、紹介致します。

 http://www008.upp.so-net.ne.jp/tojo/konjaku-27.html

 これなのですが、ふじみ野駅開業前の1992年頃の写真(一部)が掲載されていますね。私は、この頃も東武東上線で通勤していましたが、ふじみ野への転居を計画し始めた頃で、「わくわく感」が現在とはかなり異なっていました。

 本当に何も無かった場所で、畑の中に突如として出現した「リズムタワー」の様子なども、良くわかると思います。

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2009年6月 6日 (土)

絆(きずな)写真館 (その2)

 これの続きです。

http://www.nhk.or.jp/saitama-tsubasa/kizuna/

 「三芳町」ですが、やっと出て来たようです。「川越いも」に関する話題が出ていました。三富地域を開墾して川越の後背地としての農地になったという歴史的経緯がありますので、妥当な選択かと思いました。「6月5日」の枠の中に、写真と説明が出ています。開墾をしなければ、さつまいもが川越の名産品になる事も無かったでしょう。

 「ふじみ野市」や「富士見市」が出てくるのも、期待したいと思います。「写真館」だけではなくて、もっと本格的なNHK番組も制作されると嬉しいです。(埼玉県の魅力を、全般的に紹介する番組。)

 当地と川越藩の松平信綱(まつだいら のぶつな)との関係なのですが、やはり川越街道の整備、三富地域の開墾といった点で無視できないだろうと思います。

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2009年5月 4日 (月)

松平信綱と当地の関係

 松平信綱(まつだいら のぶつな)と言えば、ご存知の方も多いとは思うのですが、江戸時代に川越藩の藩主となった人物ですね。徳川の譜代大名、老中でもあったと思います。

 ふじみ野地域(大井や福岡など)と松平信綱との関係というのも、少なくないと思います。例えば「川越街道の整備」というのがあり、その途中に「大井宿」が整備されて現在のふじみ野市(旧:大井町)の街並みの基本になったと思われます。また「新河岸川の舟運の整備」というのもあり、この時に福岡河岸も出来ていると思います。農地開拓関係でも三富付近の開拓や野火止用水の建設など、同氏が果たした役割は多大だと思います。当地に関連したインフラ整備事業を色々と行なった、という事だと思います。

 いずれも江戸と川越を結ぶ手段、あるいは江戸に食料を供給する手段という事で、今も昔も川越や当地の付近と江戸(東京)との関係というのは、切っても切れない縁になっている訳ですね。

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