日高

2009年7月13日 (月)

外国人入植地 (古代の話)

 「関八州」の話がコメントの中で出ていますので、あらためて地図を調べました。「郡」単位まで出ている地図を発見しました。この「郡」というのは、現代まで継承されている由緒ある地名になりますね。当地付近は「入間郡」に属しており、現在でも「入間郡三芳町」が存在していると思います。

http://www.mars.dti.ne.jp/opaku/hakken/02/nmapx_gun.html
http://www2.harimaya.com/sengoku/map/bk_kan8.html

 外国人入植地と思われる「郡」の名前も有ると思います。「高麗郡」とか「新座郡」(別名が新羅郡)だと思うのですが、朝鮮半島との関係を思わせる名前になっていると思います。最近ですが「韓流ブーム」というのがあり、高麗神社とかには観光客が増加しているという話を聞きます。(何が地元に変化をもたらすか、簡単には予測できないですね。)

http://www.komajinja.or.jp/

 現代の該当地なのですが、日本人(大和民族)との混血が進んだせいか、外国人入植地の痕跡が殆ど無いように思います。史跡などを注意深く観察しないと、わからないですね。物凄く長い年数が経過した、という事なのだと思います。 どうしてこの地、しかも2ケ所に分散して入植させたのかは良くわからないのですが、外国人管理であるとか、開墾事業の都合などでしょうか。

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